中学時代の野球部の顧問の先生がいつも僕たちに教えていた言葉に「善因善果」というものがあります。これは、読んで字のごとく、善いことをすれば必ず善い報いがあるよ、という教えを持った言葉です。
中学生というのはひねくれた年頃ですので、当時はこの言葉を素直に受け取るはずもなく、「そんなわけないだろ〜」なんて聞き流すくらいでした。
ところが最近になって、日常のところどころでこの言葉が思い出されます。例えば、コンビニのゴミ箱の近くにちょっとしたゴミが落ちていた場合には、ふっと頭の中の天使が「善因善果…」と耳元でささやいてきて、次の瞬間にはゴミを拾っている自分がいるのです。
…そう、この行動は言ってしまえばただのあざとい考え方に基づいた行動です。素直な気持ちから善い行いをしようとするのではなく、あくまでその行動からもたらされる善い報酬を期待した上での行動です。僕もそのあざとい自分がかっこ悪くて、同じような場面に遭遇してもゴミを拾わない時期もありました。ところが今、その段階すらも通り越して、あざとい気持ちがあったとしても、やらないよりはやったほうが良いという考え方に至りました。
もうちょっと噛み砕いて言うと、人の行動の裏にある思想なんて、割とどうでも良い、という考え方をするようになりました。つまり、行動こそが全てであるという考え方です。極端な話、気難しい人が居酒屋で世の中に対する持論を数時間しゃべり続けることよりも、あっさりした人が何の気なしにさらっと電車の席を譲ることの方がずっと価値があるし、かっこいいと思うのです。
善因善果。善い結果を期待して善い行いをするのは、全くかっこ悪いことではないと思っています。