テキストメッセージと通話の中間

常にテキストメッセージが淡白で素気ない印象の人が、「自分はテキストで長文を書くと意図と違うニュアンスで伝わることが多いから、できるだけ短く済ませるようにしている」と言っていた。その代わりに込み入った議論は口頭で賄うようにしているという。

この話を聞いて割と衝撃を受けた。というのも、自分の場合は相手に少しでも不躾な印象を与えないようにするため、語尾や言い回しに気を遣っているからである。(その結果、不必要に文字量が多くなりがちである)つまり、アプローチの方向は真逆でありながら「意図しないニュアンスで伝わることで失敗したくない」という根源の欲求は同じなんだと気づいたためである。

このエピソードから読み取れるように、テキストメッセージというのはとにかく難しい。文章の末尾が「。」か「!」だけで印象は随分変わるし、年代によっても受け取り方が違ったりする。例えば、自分より少し上の世代の人たちはカジュアルな表現を意図して文末に「ー(伸ばし棒)」を使うことがあるが、自分かそれより下の世代ではこの文末表現を冷たい印象であると捉える場合が多い。

とはいえ、じゃあテキストメッセージでの意思疎通の難しさを補うために通話の頻度を増やせば良いかと言えば、それもなかなか難しい。リモートで仕事をしている職場であれば、Slackのハドルのような機能を用いてカジュアルに通話を行う環境が整ってきているが、Twitterのようなパブリックな場や、facebook messengerのような職場以外の繋がりの場において通話を立ち上げるのはまだまだハードルがあると言えるだろう。テキストメッセージと通話の間には大きなギャップが存在する。

この話にオチはないのだが、このギャップを埋めるようなテキストメッセージと通話の中間のようなコミュニケーションプロトコルが今後生まれてきたら良いなぁと思った次第。そう考えると、自分が「発話する」アクションを伴う時点でハードルを感じるので、もはや新しいコミュニケーションインターフェースの発明が求められるのかもしれない。頭の中で言葉を思い浮かべただけで意思疎通ができる…テレパシーのような。

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