2pxのドット

仕事ができる人、というとコミュニケーションの即レスができる人であったり会議中の頭の回転が早い人のことを想起する場合が多いかもしれないが、私個人としては仕事が丁寧な人を強く尊敬する傾向がある。

かくいう私も昔は仕事においてスピードを第一に考えていて、丁寧さに欠く場面もしばしばあった。雑な納品物やコミュニケーションの態度により、代理店の担当者に割としっかり叱られたこともある(その節は大変失礼致しました)。とは言え人の性格というのはそう変わらないもので、叱られたときも次の日から考えを180度変えるということはなく、いつもより少しだけ慎重に仕事をするようになった程度だったようにも思う。

しかし、一緒に仕事をするパートナーの中で、仕事に対してとても真摯で丁寧に向き合っている方々と出会い、そうした方々に感化されることで自分も丁寧な仕事を心がけるようになっていった。

例えば一緒に仕事をさせていただいたとあるフリーランスのデザイナーの方は自分よりも年下の若い方であったが、その案件においてデザイン作業だけでなくクライアントとの折衝や企画書の作成、プロジェクトマネジメントに至るまで全てを担っていた。「見よう見まねでやっているだけです」と謙遜されていたけど、とにかく全ての仕事が丁寧であった。丁寧さは不慣れであることのハンディキャップを超え、ちゃんと伝わるんだと思った。それまでの自分はあくまでエンジニアという職能だからと、そういった仕事に対してあまり手を出さず、出したとしても適当にそこそこのクオリティで片付けてしまっていたことを思い出し、とても恥ずかしくなった。以来、気になるタスクや誰も手をつけていないボールがあれば、仮にそれが自分の職能と異なる領域であってもなるべく手を伸ばすように意識するようになった。不慣れな分は丁寧さで賄うつもりで。

また、別のエピソードとして他の年上のデザイナーの方と一緒に仕事をしたときのこと。その方も大変丁寧なデザインのお仕事をされる方だった。その方からいただいたデザインデータの中に、一見すると誤植にも見えるような2px程のドットがあった。よく比喩的に「1pxレベルでのデザインの調整」という表現が使われることがあるが、それは文字通りピクセルレベルのただのドットであった。その時は特にそれについて尋ねることはなく一旦実装しておいたのだが、クライアントも交えた打ち合わせの際に同じ質問を先方から投げかけられた。「この小さな点はなんですか?」と。するとそのデザイナーの方は「この点がないと重心のバランスが悪くなるんです」と即答されていた。確かに、そのドットを消してみると少しだけ余白が気になって見えることに気付いた。この鮮やかな即答を横で聞いていたとき、あまりに細かい粒度でのデザイン意識の高さに感動したし、今でも思い出すと涙が出そうになる(何の涙か分からないが)。ここまで細部まで意識を巡らせてデザインと向き合っている方のアウトプットを実装の段階で少しでも劣化させてはいけないと思わされ、自分もそのレベルの細かさでクオリティへの意識が持てるようにならなければと思った。

こうして振り返ると、独立してからも共に仕事をしているパートナーの方々から刺激を受けることで視座が養われているし、そのように尊敬できる方々と一緒に仕事ができていることがとても有り難いなと感じる次第。

つぎの日 丁寧な仕事を実現するためのお膳立て

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