自転車の「チリンチリン」にイラッとする理由。

先日、道を歩いていると、自転車のベル(愛嬌があるので、以後「チリンチリン」とします。)を鳴らしながら接近してくる自転車に追い抜かれるということがありました。なんてことない風景です。

 

で、このときにちょっと「イラッ」としてしまったんですね。すごく心が狭い人間だということは承知しているのですが、なんだか追い抜いていく自転車の主に対して、すこしだけイラッとしてしまった。

 

…これ、けっこういろんな人が経験あるんじゃないかと思います。 今日はそんなお話です。

「チリンチリン」でイラッとするのは、おそらく共通認識

チリンチリンを鳴らして追い抜かれるときに少しイラッとしてしまうのは、おそらく僕だけじゃないはず、と思います。

 

これまで友人と歩いていて同じ状況になったときに、同じくその友人もイラッとしている素振りを見せていましたし、この感覚が大きく他人とズレていることはないんじゃないかと思っています。

 

僕は「チリンチリンを鳴らしながら追い抜かれると、ちょっとイラッとするなぁ」ということに小学生だった頃くらいに気づき、それ以降は歩行者を追い抜く際には一緒に移動している友人と少し大きな声で話したり、鼻水を啜るフリをしたりして、なんとかチリンチリンは極力使わずに生きてきました。

チリンチリンでイラッとするのは、それが媒介だから。

で、なんでチリンチリンを後ろから鳴らして追い抜かれるとイラッとするのか考えてみたときに、たぶん「肉声以外の何かを介して自分に「そこをどいてほしい」と伝えようとしている」ことに対しての嫌悪感を抱くからなんじゃないかと思ったんですよね。

 

その証に、仮に「すみませーん!」と呼ばれて知らされるのは、チリンチリンで知らされるより幾分マシな気がします。

 

完全に主観で語ってますが、追い抜こうとしている人が追い抜かれる人に対して、直接語りかけるこの行為と、なにか媒介(ここでいうチリンチリン)を利用して知らされる行為は、コミュニケーションの質はかなり違ったものになるんじゃないかなと思います。

 

チリンチリンを鳴らすのはカンタンです。人差し指にレバーを引っ掛けて弾くだけで、音は鳴り、勘の良い人は後ろから迫る自分を避けてくれます。

 

けれど、結局チリンチリンを使って他人になにかを知らせる行為って、コミュニケーションの質がすごく低い。

 

チリンチリンを使って追い抜く側は、「すみませーん!」と大きめの声を出すという負担を負わない代わりに、相手にチリンチリンでそれを知らせるという負担を強いているということを自覚しておかないといけません。

では、どうしたらいいのか。

じゃあ、なにかチリンチリンに変わるアイデアはあるのか、ということになるのですが、「すみませーん!」と声が出るボタン式のスピーカーがあったらおもしろそうだなと思います。

 

乗っている側の行動自体はチリンチリンとさして代わりはないですが、歩行者は「すみませーん!」と言われているのと変わらないので、チリンチリンを鳴らされているときと少し違った捉え方になるはず。ちょっと試してみたいです。

 

text by shimotsu

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