自己肯定感が高いことがコンプレックス?

唐突ではあるが、私は「自己肯定感が高いことがコンプレックス」であるという不思議な感覚を持っている。なんともその言葉自体が自己矛盾を含んでいるが、こう表現するより他にない。具体的にどういうことか。

まず前提として、私は自己肯定感が高い方だと自認している。この事実単体で見ると、恵まれていて良い個性であると言っていいだろう。しかし、他者とコミュニケーションをとっている中で、表現し難い心情の歪みが生じる場面がある。それは、自分より明らかに優秀であるにも関わらず、自己肯定感がめっぽう低い人と接した時だ。そういう人と接していると、私にないものをたくさん持っていてうらやましいなと思う感情と、それにも関わらずその人は自分自身に満足していない様子とが掛け合わさり、「私が自己肯定感が高いのは、単純に自分の求めるレベルが低いだけでは?」となるのだ。

もちろん、個人をとりまく環境は様々なので各人の自己肯定感の高さは客観的に観測できる単純な要因以外も数多く絡んでいるだろう。しかし、短いコミュニケーションの中では上記のような思考回路が短絡的に働いてしまう。このときの感情を指して「自己肯定感が高いことがコンプレックス」と呼んでいる。すなわち、彼らのように自己肯定感を低く保ちながら常に自分自身を研磨している姿勢に憧れているのだ。

この話を周囲の友人と話してみたら、「それは結果的に自己肯定感が低いのでは?」といった意見や、「自分は自己肯定感が低い方だから、興味深い」といった意見をもらうことができた。話をしているうちに自己肯定感が低いと自認している人の感覚と自分の感覚は一周して同じでは?という気にもなってきて、自己肯定感の定義がこんがらがってきた。とはいえ、冒頭の提起については共感できる人は一定数いるのではないだろうか。

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