入門は楽しい、というメタ認知

大人になってから、物事に入門することが年々難しくなっているように思う。学生時代であれば、興味の赴くままに新しいことに手をつけることができていたが、年を重ねるに連れて「この興味の対象は家庭や仕事の勉強時間を犠牲にしてでもやる価値のあることだろうか?」という打算的な心理が働いてしまう。それは、自分自身の行動に伴う責任が少しずつではあるが大きくなってきた裏返しではあるので仕方ないとは思いつつ、この調子が続くと長期的には重要な機会を逃してしまうのではないか、という危機感を同時に覚え、今年からは意識的に入門の機会を増やすようにしている。

久しぶりにあらゆる物事に入門してみて思うのは、入門は楽しいということだ。新しいことを始めた時、最初の頃は楽しい場合が多い。自分がその物事に対して向いているから楽しいわけではなく、単純に入門という体験が楽しいからだ。やや冷たい言い方だけれど。その事実を肌感で理解しているため、入門初期のワクワクする時期もある程度冷静な視点で自分を俯瞰的に見ながら過ごしていた。

そして今年もいよいよ5月に入り、今年の頭ごろから入門した物事もおおよそ最初の転換期を迎える時期となる。いわゆる、飽きである。そう、入門の楽しさはすぐに飽きるのである。30歳も超えてくると、こういう自分の心情のルーチンを分かってくる。なので飽きが発生しはじめた際にも、「飽きちゃったなあ…」という素朴な残念さではなく、「あぁ、はいはい。いつもの飽きタイムがやってきましたね。」という風に俯瞰的に捉えている。このポイントにおける俯瞰的な感情は特に重要である。

なぜならば、自分の感情をメタ認知できていることで、ここは我慢してもう少し続けてみようと言う気持ちに働きかけることができるためである。感情の赴くままに行動していたら、「飽きてしまったな…。辞めてしまうか。」となってしまっていたかもしれない。いやむしろ、過去に同じようなサイクルで辞めてしまった経験も多いだろう。そうした経験から得られた教訓を活かし、ある種自分の気持ちをハックするような行動をとることができる。

さてさて。ひとときの我慢を乗り越えた先に見える景色はどうなっているのか。ここから先のフェーズでは、いよいよ向き不向きが表出する頃合いになってくるかと思います。その頃にまた状況の変化がありましたら記したいと思います。

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