いつもと違う道具を使ってみる

僕は小さい頃に野球をやっていて、その頃のスターがイチロー選手だったのもあり、道具は長く大切に使いたいという心理が根っこの部分にある。イチロー選手は非常に道具を大切にする選手として知られていて、練習や試合後のグラブのメンテナンスは欠かさないし、グラブやバットのデザインを毎年のように変える選手も少なくないプロ野球の世界で、彼は10年以上のプロ野球生活に渡りほとんどそれを変えていない。

自分に当てはめて考えると、仕事道具はMacやiPhoneであり、趣味の道具はカメラやドローンなどが当たるだろう。それらはいずれも、同じような仕事をしている周りの人より1つのものを長く使っているという自負がある。その分、買い換える時にはそのタイミングで買うことができる一番良いものを選ぼうという意識もある。

そのように、道具に対して目移りせず1つのものを長く使おうというのが基本的な性なのだが、最近少し考え方を改めるタイミングがあった。それが先日知人からライカのカメラを借りたときのお話。

ライカのM型シリーズのカメラは、オートフォーカスがない。マニュアルフォーカスでしか撮ることができないカメラだ。これは現代のカメラシーンにおいては異端とも呼べる機能の欠損である。引き算の美学とは言えど、ここまで思い切った振り切りができるメーカーは少ない。ただ、その「マニュアルフォーカスしか使えない」という制約を初めて経験し、大きな発見があった。

それは、全てのパラメータを自分の手で意思決定しているという心地よさだ。これまでは、デジタルカメラのマニュアルモードによって絞り / シャッタースピード / ISO感度までは自分の手でコントロールすることはあれど、フォーカスまで自分でコントロールしようという発想はなかった。単純に、撮るまでのスピードがとても遅くなるだろうし、現代のオートフォーカスの精度は人間の手を超えていると考えていたからだ。もちろんそれらの考え方も一定正しいのだが、いざマニュアルフォーカスに触れてみると別のステージに上げられた感覚がした。いわば、これまで市販のカレールーでしかカレーを作ってこなかった人間が、初めてカレー粉やスパイスから作ってみようと試みるときの感覚に近いだろう。最初は市販のルーの美味しさには到底勝てないのだが、美味しさを超越した「楽しさ」がそこにはあるし、たまに生まれる市販のルーを超える美味しさもまた嬉しい。

現在はすでにライカのカメラは持ち主に返却し、今は自分が持っているオートフォーカス機能付きのカメラを使っているのだが、面白いことにそれらのカメラを使う際もマニュアルフォーカスで撮る機会が増えている。立ち返って考えると、こうした新しいアプローチは僕がライカのカメラを借りていなかったら得られなかっただろう。つまり、新しい道具には新しい気づきを与えてくれるチャンスがある。

自分の記憶を遡り、同じような経験があったシーンを思い出すと、例えばプログラミングにおいてもそうだ。フロントエンドエンジニアとして仕事を始めた当初はjQueryが全盛の時代で、いわゆる命令的手続きによってプログラムを記述していた。その後、React / Vueを主体とする宣言的UIが登場し、その設計の思想に感動したのを覚えている。今では宣言的UIの言語を業務のメインに据えているが、たまに発生する命令的なコードを書かなければならないシーンでも、宣言的UIの記法で得られた考え方を部分的に適用している。

ライカの件で得られた発見を経て、自分は使う道具を絞ることでこうした新しいアプローチの発見の機会をいくらか失ってしまっているのではないかと感じた。道具を頻繁に変えすぎることは良くないだろうという考え方に変わりはないのだが、例えば今回のようにお試し期間的に他の道具を試用する機会を増やすなど、視野を広げていきたいと思った次第。

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