モチベーションの核

今日は人間の持つ「モチベーション」について思うことを書いてみたいと思います。

まずはじめに、モチベーションにはレイヤーがあると私は考えています。例えば「お金を稼ぎたい」というモチベーションがあったときに、「じゃあなんでお金を稼ぎたいの?」という質問を投げると「欲しいものがたくさん手に入るから」と一段下のレイヤーにあたるモチベーションが表出するような。そして更に、「欲しいものが手に入ると何が嬉しいの?」と質問すると、「良い服を着たり良い家に住むことで生活が豊かになるから」というように、どんどん深いレイヤーのモチベーションへと遡っていくことができます。そういう自問自答を繰り返していくと、これ以上分解することのできない最下層のレイヤーにあたるモチベーションが表れるかと思います。それを私は勝手に「モチベーションの核」と呼んでいます。

この「モチベーションの核」をイメージするときによく思い出すのが、私が新卒で入社した株式会社カヤックの会社説明会に行った時の話です。そのときは、カヤックのOB社員がイベントに参加されていて彼らに質問できる機会がありました。(OB社員が会社説明会にいるというのも変わった会社ですね…)

その方は「海外(シリコンバレー)で働きたいから、カヤックを辞めることにした」と仰っていました。そこで僕は純粋に気になったので「なんで海外で働きたいと思ったのですか?」と質問してみました。するとその方は「え?だって海外で働きたいじゃないですか。海外で働いてみたくないですか?」と少し驚いたように回答されました。その瞬間は肩透かしをくらったような気分だったのですが、しばらく経って考えると海外で働きたいという意志は、彼にとってそれ以上要素分解する余地のないモチベーションの核だったのだろうと思います。そのことを本人も分かっていたから、疑いようの決断ができたのだろうと。

さて、それでは私にとってのモチベーションの核ってなんなのだろう考えると、それは「後世に何かを遺したい」という意志だと思っています。先人の例をとると、それは芸術的な作品だったり、科学的な発明などが典型的なそれにあたります。ただ私の場合はそれほど大袈裟なものでなくてもよく、後世に価値を遺すことができるなら、それはどれだけ小さいものでも良いと考えています。最近見た成田悠輔氏の言葉を引用すると、「洋服のボタン」のような。洋服のボタンというのは、誰によって発明されたとか、いつ頃から使われるようになったなどの起源があまり明らかになっていないそうです。また、ボタンの存在なんて当たり前すぎて、我々はそれをイノベーティブなアイテムだとすら意識していない。それでもボタンは現代の衣類や鞄にとって必要不可欠なものになっている。こういうもので良いな、と思うわけです。(上から目線な書き方になってしまいましたが、ボタンは本当に素晴らしいアイテムです。)

自分の死後の世界があったとして、その100年後から下界を覗いた時に、自分が生み出した産物が少しでもその時代の人に親しまれていたらこんなに嬉しいことはない。そう考えると、それが例え小さくつまらないものだったとしても結構難しそうですよね。故にその領域にチャレンジしてみたいという意志が、私にとってのモチベーションの核だと思っています。

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