Googleがサービスを世に出す際の基準として、「カッティングエッジな技術に裏打ちされているか」というのがあるらしい。
例えばGmailは当時は先鋭的だったpushStateという技術を使ってページ遷移を伴わないアプリライクなデザインをブラウザ上で提供しているし、Google MapやGoogle Earthで用いられているWebGLの技術は、言わずもがな当時のインターネットにとって衝撃的な機能だった。
Google検索なんて、ページ上に置かれているのは検索バー一つだけで、サービスの価値はその裏にあるページランクという技術のみである。
今でこそポップなデザインも目立つようになったGoogleだが、その性格はやはり超骨太なテクノロジー企業である。
僕はどちらかというと、表現手法としてプログラムをかじっているようななんちゃってエンジニアなので、小さい頃からUNIX触ってましたみたいな人には到底かなわないし、最新の技術という話題にもそれほど関心のあるタイプではない。
ただ、事業やサービスを大きく推進していくには、圧倒的な技術力か仕組み化のどちらかが必要不可欠であることを強く痛感する。
つまり、サービスが提供する価値が、いかに属人的でないものになるようにデザインしていく必要がある。
企業の代表個人の持つ作家性自体がサービスの魅力になっているとき、ある程度のラインまでは売れるものが作れるかもしれないが、広がる範囲はすぐに頭打ちになってしまう。このようなサービスは、サービスというよりも作品と呼ぶのが相応しいし、提供者は作家と呼ぶほうが相応しいだろう。
作品を作る作家が価値が低いわけではもちろんなく、ただ(少なくとも今の)自分は、作家になることよりも技術力をもって仕組みを作る方に関心がある。