「もし、◯◯ だったなら」の罠

『「自分も資産家だったなら、貧しい人たちに多額の資金に寄付してあげたいよ。」なんてことを言う人は多くいるが、そういった人たちは仮に資産家になったとしても、決して一銭たりとも困った人たちに寄付することはないだろう 。』

というのは、孫正義さんの有名な言葉。僕はこの言葉が好きだ。
考えてみれば当然のことで、1億円の資産を持った人が100万円の寄付をすることと、100万円の資産を持った人が1万円の寄付をすることは、資産に対する寄付の割合は同じなのだ。そして、これもだいぶ譲歩した考え方であり、実際には1億円の資産を持っている人にとっても、100万円の資産を持っている人にとっても、100万円の価値は100万円だし、1万円の価値は1万円なのだ。1億円の資産を持っているからと言って、1万円の価値が小さく感じられるなんてことはない。

そして、「自分も資産家だったなら〜」と言っている人に限って、今自分ができうる範囲での寄付すらしていないことが多い。こうした人達はきっと、1億円の資産を持っても100億円の資産を持っても、何かしらの理由付けをしてきっと寄付をしないように思う。
孫さんもソフトバンクを起業して間もないころから、積極的に寄付活動をしていたことは有名であり、メジャーリーガーのイチロー選手もプロ1年目に2軍のオールスターでホームランを打った際の賞金100万円を全額寄付した話は有名。その後、孫さんは東日本大震災で国内最多額の100億円を寄付し、イチロー選手も同様に1億円を寄付している。

と、ここまでお金や寄付にまつわる話を続けてきたが、「もし自分も◯◯だったなら、きっと〇〇するのに」という話は、あらゆるケースに当てはめられる話だと思う。
例えば、「仕事が落ち着いたら、思う存分〇〇(趣味等)をするぞ!」と思っていても、いざ休日になれば平日の疲れを休めるために家でゴロゴロして時間が過ぎ、いつまで経ってもやりたいと思っていたことが実現できないというのは世の仕事人にとってあるあるだろう。

きっと、「〇〇だったなら、〇〇をするぞ!」と思っていることは、一生実現することはない。そんなことを最近察してしまった。
僕も、「どこかで1年位仕事の休みを取って、マンガや映画を思う存分楽しむ時期を作りたいなぁ」、なんてぼんやりと思っていたけれど、これはきっと一生実現しない。なぜなら、普段からマンガも映画も特に好んで読まないからだ。そもそも、マンガも映画も、本心ではそこまで読みたい(観たい)と思っていないのである。
意外と、こうした自分の本心に自分で気づくことって難しいし、ある程度年をとってからでないとわからないことなのではないだろうか。

この基準を以て、自分の本心に気付くことができれば、割と生きやすくなる。
「あ、俺って余生はマンガや映画を見ながらゆっくり過ごしたいなんて思ってたけど、それならじゃあなんで今頑張って時間を確保してでもやろうとしないんだろう…? そこまで好きじゃないんだな。じゃあもっと別のことを目指そうかな。」
という具合に。

人が自分の生活の時間を費やす時間の対象って、0か1かという極端な分かれ方をすることはない。暇になったら、今スキマ時間を使ってやっていたことをめいいっぱいやるようになるだけだ。今、少しもやっていないことを急にやりだすことは起こりづらいと思う。

…と、お金の話から趣味や時間の話まで振れ幅の大きな話になってしまったが。
言いたかったことの主旨が伝わっていたなら幸いである。

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