ブログでもラジオでも、メタ的なことばかりコンテンツにしはじめたら黄色信号。メタ的なコンテンツは、リスナーが聴きたい/読者が読みたいことじゃなく、発信者側が手っ取り早く作れるから、という理由で発信されることが多い。言いたくなるし、書きたくなっちゃうんだけどね。
— shimotsu (@shimotsu_) February 27, 2018
それは、たいてい書くことがないときか、方向性に迷っているとき、であることがほとんどです。本来は、その枠のなかでコンテンツを展開すべき状況なのに、その枠のこと自体を論じるのは、あるべき姿とは少しかけ離れていると言えるでしょう。もちろん、程度の問題はあります。
たとえばブログを書いていると、「今月は◯◯人に読まれました」「ブログはこうあるべき」という、そのメディア(媒体)そのものについて書きたくなることがあります。事実、ブログを運営している人は、内容はともかくそういうメタ的な視点でコンテンツ(いわゆる「ブログ論」)を作ったことがある経験を持っている人がほとんどじゃないでしょうか。
たしかに、そういうコンテンツは作りやすい。枠の中の、真のコンテンツは発想しないと出てきませんが、枠そのものはずっと”そこにある”ものなので、それについて書くことは簡単なんですね。これも、書いたことがある人にはわかると思います。そして、大抵の場合そういうコンテンツは、同じことをやっている人、同じ趣味を持つ人に支持されます。同じことに関心を寄せている人たちなので、当然といえば当然。そこで承認欲求を満たされて、また同じことを繰り返す…という構造ですね。
ただ、そこで本当に考えるべきなのは、「そもそも誰のための媒体なのか」ということ。自分のためだけのものであれば、メモ程度に扱うのはよいと思います。そうでない、多少他者の目を気にした媒体である場合、そういう枠そのものに主眼を置いたコンテンツは、その同業の人にしか注目されず、いわば「業界紙」的なポジションに留まることになります。なので、バランスが重要なんです。
このエントリはどうなのかって? これは「メタ的な視点でつくられるコンテンツ」について、よりメタ的な視点で論じたものです。超メタ視点とでもいうのでしょうか。