不味いと感じられる感覚

だいやめキッチンという事業をやっておきながらこんなこと言うのも少し変かもしれないけれど、僕は「味覚」という能力に関しては特に長けているわけではない。だいたいの外食を食べても、店に売られているものを食べても、美味しいと思ってしまう。食べ物を食べてみて、不味いと思ったことはほとんど記憶にない。

これは楽観的な見方をすると、どんな食べ物も美味しく感じられていいね!という話になるかもしれないが、冷静に現実的な見方をすると、ただ単純に「味覚に関して解像度の低い奴」なだけである。だからこそ、食のキュレーションやレシピ考案に関してはパートナーであるフードコンサルの方や、料理の得意な方にお任せしているのである。彼らはちゃんと、不味いものは不味いと判別できる能力がある。この時点で僕は、すごいな、うらやましいなと思う。その上でさらに彼らは、「調味料はこれとこれとこれが使われているね。だとするともうちょっとこれを加えてあげるとまともな味になるんじゃないかな」という改善案まで瞬時に導き出したりする。僕からすれば魔法のような世界だ。

一緒に仕事をしているフードコンサルの川野さんという方はワインにも精通しているのだが、彼曰く、ワインの良し悪しが分かるまでにはまず一定の数量以上のワインを経験として飲まなければならないらしい。つまり、ワイン初心者の人がいきなり高級なワインを飲んだとて、その良さはわからないのだと。なるほど。何かを嗜み、それを適切に評価するというのはそれ自体が能力の1つであるとも言える。

と、ここまで食や味覚に関する話を続けてきたが、おそらく自分にとってのWebデザインやプログラミングの知識や客観的評価のスキルも、他者からしたらわからないレベルの世界なんだろうなと思う。何が言いたいかと言うと、そのジャンルにおける能力の有無というのは、如何に「ネガティブな指摘を正確にできるか」という1点で簡単に判別できるものだと言うこと。例えばWebデザイナーの採用試験において、「このWebデザインのイケてないところを挙げてみてください」というのはわかりやすくその人のスキルを洗い出せる第一問になるだろう。多くの人は、なんとなくこっちの方が良い・悪いということは判断できるけれど、じゃあどうして?どういうところが?というところまでは言語化できない。それができる能力があれば、その道の能力に長けた人物であると判断できる。

つぎの日 「どうしますか?」ではなく「こうすべき」

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まえの日 小さい機体は負荷が強いが小回りがきく。

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