「老害」と言う人間と「生意気な若造」と言う人間は本質的には同じ

本日はタイトルの件について、最近気付いたことを書こうと思います。

若い人が、話の通じない年配の方を蔑む意味で使う「老害」という言葉があります。
また逆に、年配の方が、話の通じない / 従来の常識が通じない若者に対して「生意気な若造」などと表現したりすることも多いです。

かく言う僕も、時折話が噛み合わない年上の方に対して、ときどきムッとしてしまうこともあります。「もうこれ以上話しても無駄だ!」と、そっぽを向いてしまうこともあります。
ところが、この状況を少し俯瞰して考えてみると、「老害!」と思っている若者(自分)と「話の通じない生意気な若造!」と思っている年配の方はそれぞれ本質的に同じレベルにあるということです。つまり、相手の話を聞き入れる懐の余裕が備わっていないということ。
もっと言うと、「老害」といった言葉を頻繁に使っている(誰かに対して思っている)若い人間は、将来自分も老害と呼ばれる人間になる可能性が高いということです。何故なら、「相手の話を聞き入れない」という点では同じであるから。

ということで、もっと万人の言葉や意見に耳を傾けて、自分の中に受け入れるようにしようというのが最近のテーマなのであります。以前のブログでも書いたように、最近の自分は自分に自信過剰なところもあり、ややその点に欠けていたのかなと自省する場面がありまして。「自分が一番正しい!」という気持ちが、少し強すぎた。
老若男女問わず、誰かの意見は必ず、その人にとっての正義であるわけです。その前提を持っていない人間には、多くの人は着いてこないでしょうと。もう少し、良い意味で意識的に丸くなってみようと思う最近なのであります。

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