自然体であること

物事にハマったり仕事を志すきっかけには、大きく2種類のパターンがあると思っています。
1つは、誰かその道の大先輩がいて、その人に憧れたことをきっかけとしてその道を志すパターン。例えば、子どもがプロ野球選手にあこがれて野球を始めることなどはこれに当たるでしょう。
一方でもう一つは、その「コト」自体にハマってしまうパターン。野球少年が、ただただ野球をして遊ぶことのそれ自体が大好きで野球を始めた場合には、このケースが当てはまります。こうした子どもは、特に憧れのプロ野球選手なんていなかったりします。なんせ野球自体が好きなだけだから。

で、僕は時折、周りの人に対して「今の仕事を始めたきっかけは、この2パターンのどちらですか?」なんてことを聞いたりしてきました。
その質問に特に意図はなくて、ただ興味本位で聞いていたというだけだったんですが、最近になって大きな気付きが訪れました。

それは、仕事を長く深く突き詰めていくには、後者(「コト」自体にハマるタイプ)の方が圧倒的に強いということです。
野球選手になりたいなら、「イチローみたいになりたい!」だけでは厳しい競争社会を勝ちぬいていけないし、バンドで東京ドームのステージに立ちたい!と思うなら、「ミスチルみたいになりたい!」だけじゃ、きっと、いや、絶対弱いと思うんです。

僕は25歳〜27歳という心境の変化が激しいこの約2年間で、大きく自分が変わったなぁと思うことが1つあります。それは、人にあまり憧れなくなったということです。
「憧れ」というとちょっと違うかもしれませんが、特に男って、誰か自分のヒーローに当たる人がいて、人生の岐路や修羅場に行き着いたときには「あの人だったらどういう選択をするだろう?」なんて考え方をすると思います。自分の心の教科書のような存在として。
僕も25歳(独立する前)までは、会社の先輩や、ベタにかっこいいミュージシャンなんかをそういった心の教科書に見立てて、困ったときには「あの人だったらどうするだろう?」と考えて、判断基準にしたりもしていました。
でも、そこから2年経って、「三十路手前の男が自分の気持ちを自分の直感で決められないのってダサいな」とか「一企業のトップが、自分の判断を第三者の感覚に依存してる状態ってかっこ悪いな」なんてことを考えるようになりました。その結果、どんなに悩んだときにも最終的には自分の感性を100%信じて物事を決めるようになった。これは大きな変化です。

…さて、だいぶ話が脱線した気がしますが、冒頭の話に戻すと、「誰かに憧れて」何かを始めるということは、最初の初期衝動のきっかけとしてはまぁまぁ良くても、10年〜20年というスパンで考えると、絶対に長続きしないと思うんです。極端な話、イチローに憧れて野球を始めた人が、イチローが引退したときどうするの?イチローよりも好成績を出したとき、モチベーションは維持し続けられるの?みたいなことで。

なので、野球を本当に長く深くやっていきたいなら、野球自体が好きじゃないと無理だし、バンドマンを60歳までやりたいなら、音楽自体を愛していないと無理。僕は幸い、中村勇吾さんや中村洋基さんといったプログラマ / Flasher の面白スーパーヒーローに憧れてWebプログラミングの世界に飛び込みましたが、やってみて3ヶ月くらいで気付いたのは、僕はプログラミングを書いているだけで本当に時間を忘れるくらい楽しい気持ちになれるということ。このおかげで、今でも健全にLucky Brothers & co. の代表をしながらバリバリプログラムを書けているなぁと思うんです。

ずーっと平日も休日もプログラム書いてられてすごいね、とよく言われるけど、自分にとってはこれが自然体なのです。呼吸をするのと同じ感じ。なので、自然体の状態、つまり頑張らない状態でも呼吸をするようにできるような作業を仕事にできると、きっと強いなと思います。僕は現在、プログラミング以外にも、自然体でやれるような仕事を探しているところです。これがつまるところ、いわゆる「向いている」仕事なんだと思っています。

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