人の評価は気まぐれなものである

人が人に対してつける評価や、作品に対してつける評価というのは気まぐれなものだ。その人の気分であったり、もしくは時代的な気分によっても大きく変わる。ゴッホの作品は、ゴッホが亡くなったあとに大きく評価された話が有名であるように(ゴッホの生前に売れた絵は一枚のみ)、作品に対する評価も時代によって大きく変わるので、世に出した直後の評価だけで判断するのは短絡的である。

そんな「人の評価って気まぐれなものだよね」ってのを制度化したものが、面白法人カヤックのサイコロ給という制度。社員の給与をサイコロで決めるという非常ユニークな試みのため、メディアでも取り上げられることが多い。

サイコロ給の哲学は、「人の評価って気まぐれなものだから、いっそのことサイコロで決めちゃった方がいいじゃん」というもの。人の評価が気まぐれで曖昧なものだということは、確かに年をとるほどに感じてくる。評価する人の気分がその日たまたま良かったとか、もしくは単純に評価する相手と仲が良いとかその逆とか、良い評価をしてもらうための、上司への媚びへつらいが影響してきたりとか…。そういういった本質的でないことに時間や心労を費やすくらいなら、みんな潔くサイコロでランダムに決めちゃおうよ!っていう哲学が込められている。

メディアでは、どうしても「サイコロで給与を決める面白い会社」という表層的な部分だけ切り取られることも多いけど、実はその裏にある哲学がスゴく重要。

そういう前職のカルチャーの中にいたからか、人からの評価に一喜一憂することは今でもあんまりない。良い評価をされることは大事だけど、それらは全て移りゆくものであるという見方をしているので、あまり興味がない。この考え方は、すごく精神衛生上良いものだと思う。

つぎの日 「行動派」とは、どういう意味か?

ランダムな日

まえの日 結局、「フォーマット」を作るヤツがすごい。

ランダムな日

loading loading