3週間ほど前に割ってしまった、買ったばかりのiPhone。修理すべきかどうか結構悩んだ末に、結局正規のApple修理のプロバイダでガラスの交換をすることにしました。その額、16,000円。決して安くはありません。
ただ、やっぱり画面が割れているスマホは全然アガらない。もう理屈じゃなくて、ただただ「アガらない」というだけなんですが、これが与える影響が思いの外大きかった。そもそもAndroidからiPhoneに変えた理由が「なんか、アガらないから」というだけの理由だったのに、そのiPhoneが割れてしまっては元も子もない。そう気づいて、修理することを決心しました。
街にある非正規のiPhone修理屋でもよかったのですが、分割払いの関係で、今後2年間は使うことを考えると下手な品質のガラスになるのも避けたい。ということで、少し値段が高い&3日程度の預りとなる正規プロバイダで修理することにしました。
実際は、貸出機としてiPhone6を貸してもらったこともあり、そこまで苦労しませんでした。また、いまはiCloudやiTunes経由でバックアップしたデータをもとにすぐ環境が復元できるので、そのあたりで手間取らないのもめちゃくちゃ助かります。ガラケーの時代は、メモリの情報をピコピコと手入力していたので、それを思うとテクノロジーの進歩を感じます。
画面を交換してからというもの、めちゃくちゃ気持ちがいいです。スマホなんて毎日何十回も見るもの。それが不完全な状態で毎回「うわー、割れてるな―」と突きつけられるのと、キレイさっぱりな状態とでは、やはり気の持ちようがはっきりと違います。16,000円、たしかに高いけど払うだけの価値はあったなと。
画面が割れている状態で使い続けると、次第に慣れていくんだと思いますが、やはり潜在的にはストレスがかかっているんじゃないかと思います。それを、ただ分かりやすく感じないように脳で矯正されているだけあって、どうしても目に入るのでそこに注意は向かってしまいます。その累積している注意コストを受け入れるのか、1万円ちょっと払ってさっぱりとゼロにするのか。スマホが割れたまま使っている人は、その点について一度考えてもいいのかもしれません。