他人を巻き込まず、一人でやること。

ツイートに書いたとおりですが、特に最近こういう傾向が見られるなと思います。楽しい出来事や発見したもの、大きなプロジェクトに至るまで、誰か他人を巻きこんだり、共有したり、そういう様子が多く見られるように感じます。中には、朝から晩まで行動のほとんど全てをSNSに発表しているような人もいたりします。

SNSが発達した昨今なので、そうした流れは当然のようにやってきますし、それが悪いことだとは思いません。また、自分の思いに賛同してくれる他人に出資してもらい、なにか物事を達成するというのも、「シェア」の精神を体現したインターネットならではの活動だとも言えます。

たとえば出資を募るなど、他人を巻き込んで何らかのことを達成しようと思ったとき、そこには何らかのリターンがつきものです。上場企業でいえば、それは「配当」にあたりますし、保険でいうと不慮の事態に陥った際に支払われる「保険金」、ということになります。得られた利益を関係者に分配したり、活動の状況を報告したり、そうした義務が発生します。すなわち、関係者の協力を得るために、「不自由」になると言い換えることができます。

一方、誰も巻き込まず、自分ひとりだけでやろうとすると、そうした義務はありません。報告する必要もないし、得た利益を分配する必要もありません。自分の思いどおりにすべてを進めることができます。これが、すなわち「自由である」ということになります。逆に、その分責任は自分にだけかかってきますし、失敗しても助けてくれる人はいません。自由と責任は常に表裏一体にあるものです。

ここを理解していないと、自由なつもりで振る舞ってしまい、反感を買うということになりかねません。株主総会で株主からの厳しい指摘にあう、という場面がありますがそういう状況です。なんでもかんでも、他人を巻き込むことが必ずしも正解ではないということです。目的と、そこに至るまでの経緯を想像し、どんな状態であるべきかを考えたうえで、どうあるべきかを選択することが大事です。

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