「人が好き」という人について。

休日っぽく、まったく仕事に関係のないことについて。

基本的に「好きなものがある」という状態は素晴らしいと思っていて、そのどれもに対して「おお、良いっすねぇ」という感想を抱くのですが、ひとつだけこれまでずーっと疑問に思ってきたものがあります。それは「人が好き」というもの。

例えば、多様な人たちが集まるコミュニティを形成するのが得意な人や、別に何か特技に直結しているわけではないけどとにかく人と接するのが楽しいと感じている人などが、「人が好き」と公言しているのを見ることが多いような気がします。

そういうときに思うのが、例えばシリアルキラー、国の独裁者など、一般に社会的に認められないような言動をしたり、犯罪を犯してしまう人たちなどに対しても「好き」という感情を抱くのでしょうか?、ということ。シリアルキラーも独裁者も「人」です。「人が好き」という言葉を本当にその文字とおり捉えると、そういうタイプの人も好きである、ということになりますよね。けれど、実際はおそらく違うんじゃないでしょうか。「えっ、連続殺人鬼? そんなん好きなワケないじゃんw」と一蹴される様子が目に浮かびます。まあ、これは想像でしかないのですが…。

つまり、「人が好き」と公言する人の多くは、「(自分と気が合う)人が好き」とか「(自分が見聞きしたことないようなおもしろい話をしてくれる)人が好き」とか、主に自分になんらかのバリューをもたらしてくれる人をベースに「好き」と言っているだけ、という気がします(あくまでこれも予想)。別に、だから「良い」とか「悪い」とかじゃなく、これは「まあ、そうだよね」程度の話です。

本当に「人が好き」なのは、解剖学の権威の教授とかでしょうか。そういう人は、生物学的に「(すべての)ヒト(人)が好き」である可能性はかなり高いと思います。あとは、デスノートに登場する死神のように、自分とはまったく別の性質を有する生物として「人が好き(=とても興味を抱いている)」というのもありますね。

こういうことを書いていると、「じゃあお前はどうなんだ」という声が聞こえてきそうですが、僕の場合は「特に好きな一部の人以外、まったく興味がない」となります。

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