休日なので休日っぽいエントリを。
最近、つとめて「個人主義」の考え方をするようにしています。個人主義といっても、そんなにたいした話ではなく、要は「他人は他人、自分は自分」とすっぱり割り切れる考え方のことで、つまり「あまり、他人の目を気にしない」とも言えます。
なぜそういう考え方をすることに至ったかという点については省略しますが、とにかくあるとき「自分はあまりに、他人の目を気にしすぎだし、気にかけすぎだ」と思ったんですね。たしか、ツイッターとかをぼーっと見ているときだったような気がします。なんとなく、同じ年代くらいのほぼ同業の人のたちの特に理由もなく眺めたり、なにか出来事があったときに「あっ、これツイートしよう」と思ったり、なんかそういうことばかり考えているなあと。
断っておくと、別にそれ自体が悪いことだとは全く思いません。ツイッターはもはや生活とは切り離せないというような人もいるでしょうし、そうしたい人は好きなだけつぶやくといいと思います。けれど、自分の場合は他人ありきじゃなく、自分の中から得られる「楽しみ」みたいなのをもうちょっと実感して大切にすべきだと思ったんですね。なんとなく、直感的にそうしないとすごくマズいことになるような気がして。そう、これは「個人主義」と「楽しみ」についての話です。
たとえば、「情報発信が好きだ」という人がいたとします。そういう場合、たいていただ情報を発信するだけじゃなく、発信した情報を知った誰かが得をしたり、「いい情報だね」と褒めてくれたり、そしてその結果巡り巡って自分にいいこと(具体的にはお金や名誉的なもの、有名になれるといった実益など)が還ってくることが好きだ、といっているケースがほとんどであるように観察されます。これはつまり、「好き」の部分は完全に自分一人の成果によるものではなく、他者を巻き込んだ結果とも言えます。もちろん、これはインターネット的でとてもいいことだと思います。
ただ、そういう「他者の存在(目)」をまったく意識せず、自分だけの内なる「楽しみ」を見出して育む必要があるなと思ったんです。もう24歳なのに、何をとぼけたことを言っているんだと思われるかもしれませんが、これが「楽しさ」を与えられ続けて生きてきたツケなのだと思います。だから、これからは同じくらいの年月をかけてそのツケを精算する番かなと。
やるべきこと、やりたいことは山のようにあるのですが、手始めにスマホのなかにあるSNSのアプリをアンインストールしました。なので、スマホからツイートはできないし、「いいね」もつけられません。が、いまのところ全く不便はしていません。元々便利になろうと思って使っていたわけではなく、ずっと「惰性で使っているな」という意識があったので当然といえば当然ですが…
まあ、そんな感じで超ロングスパンでこの意識改革とでもいう実験をおこなっていきたいと考えています。