最近、いい仕事をするためには「時間的余裕」が必要不可欠だという思いがよりいっそう強くなってきました。少し前までは「まあ、そうだろう」くらいに捉えていたのですが、いまはほぼ確信に変わっています。自信を持ってそう断言することができます。
森博嗣さんという作家が好きで、エッセイをよく読んでいるのですが、しばしば彼の仕事のスケジューリングの正確性について触れられることがあります。森さんはこれまで多数の作品を公開していますが、そのどれも納期に間に合わないということは絶対になく基本的にはそれよりもだいぶ余裕を持って書き終えてきたのだといいます。
以前、小説の執筆中に父親が亡くなり喪主まで務めたけれど、それでも締め切りに余裕を持って原稿を提出したことがあった、というエピソードも書かれていました。親近者が亡くなった場合、さまざまな手続きを見積もってもだいたい1週間くらいはその処理に割かれるのではないでしょうか(親近者が亡くなったことがないので、このあたりは予想)。つまり、森さんは少なくともそれ以上の余裕を持って仕事を進めていたということになります。おそらく、ご本人にとってみれば「想定の範囲内」の出来事であり、無事に仕事を終えて当然だったことでしょう。
「親近者が亡くなり、それにまつわるさまざまな処理をすべて全うしたとしても、その仕事は無事に完遂できるか(納期に間に合うか)」というのは、仕事を時間的余裕を持って進められているかということの、ひとつの分かりやすい指標になりそうです。このとき、重要なのは「その仕事にどれだけ情熱を捧げられているか」とか「仕事に対するやりがいをしっかり持てているか」という曖昧なものではなく、「この先起こりうるあらゆる可能性を想定しているか」という悲観的な見積もりだと考えます。
時間的余裕がないと、チェックがおろそかになり、細かい点に目が行き届きません。また、新たなアイデアを思いついてもそれを実行するだけの時間がないと意味がありません。同じく森博嗣さんの著書に「『良い仕事』とは、なんの手応えもなく余裕を持って終えられる仕事」という趣旨の言葉があり、これが僕が目指したい、目指すべき仕事の在り方だなと再認識しました。まだまだ、その域に達するには遠いですが…。