メルカリにハマる理由は「評価」のコメントにあった。

今日、こんなツイートをしました。

メルカリはちょっと前までわりとアクティブに使っていて、これまで20品以上売ってきました。服やDVD、電化製品など、合計で10万円近くは売却してきました。売るためだけに使おうと思ってはじめたので、メルカリで何かを買ったことはほとんどありません。

メルカリに関する考察は以下の記事が参考になるので、ぜひ読んでみてもらいたいです。

 

参照:フリマアプリが人々の消費動向を大きく変えていて、かなり衝撃を受けた

消費者ニーズを考える → それに合うものを選ぶ・作る → 売り方を考える・実践する → 購入される=価値が生まれる → うれしい!=承認欲求満たされる(おこづかいも手に入る)

究極は、この一連の流れなんですよね。自分が物を売るためにした努力が認められた瞬間が大事。「自分がしたことが正しかった、喜ばれた、認められた!」という……中毒性高いですね。

たしかに、メルカリでモノが売れると嬉しい。商品に名前を付け、写真を撮り、場合によっては加工し(僕は毎回デジカメで撮影しLightroomで加工してから出品します)、説明分を入力し、値段を決め…、という過程を経て購入されると、極端な話「自分は間違っていなかった」という感覚を得られます。承認欲求ですね。

ここまでは引用した記事の内容。それに加えて、冒頭のツイートのように、ダイレクトに褒められることで満たされる承認欲求も存在するんじゃないかと思います。

メルカリではこのようにユーザーの評価が公開されています。これは、これまでに僕が他のユーザーから与えられた評価です。

幸いなことにこれまでの評価はすべて「良い」としてもらっていたのですが、そのたびにコメントを見るとちょっとうれしくなるんですよね。

「迅速に対応していただき〜」とか「素敵な梱包を〜」のようなコメントが並ぶと、あたかも自分が他人のためになにか役に立つことをした気になってきます。(実際、「よかった!」と思ってもらえたのであれば、まさにその通りですが。)

これって、実は仕事における評価とも似ています。

たとえば、クライアントから「とても助かりました」とか「すごくいい◯◯でよかったです!」と褒めてもらえたときは、たいてい嬉しいものです。「人の役に立てたな」と思うし、なんだか誇らしい気もしてきて、明日からの活力になったりする。

…、これはただの仕事における評価ですが、このときの感覚とかなり似ているんじゃないかと思うんですね。

つまり、メルカリでは

(1)自分で商品に価値を見出し/与えて、出品し、買ってもらい商品を得ること

(2)商品を買ってもらったお客さんから褒めてもらうこと

この2つがガソリンとなって、どんどんハマっていく人が増えているんだろうなと。特に仕事から離れている主婦がメルカリでモノを売ることにハマって中毒のような状況になってしまう…、というのはこうした考え方をすれば納得できます。

 

もし、メルカリ(や、それに近いフリマアプリ)での売買の経験がない方には一度試してみてもらいたいですね。これはなかなか新鮮なので。

つぎの日 桜島WALK IN FES! 2017に行ってきました。

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