「大喜利」は知能の贅沢な使い方だと思う。

昨日、こんなツイートをしました。

お笑いが好きでよくお笑いに関するコンテンツに触れているのですが、なかでも大喜利が特に好きです。このときも、『IPPON』というフジテレビで放送されていた大喜利の番組を見てツイートしたものです。大喜利の番組を見ているときは、だいたい毎回こんなふうに「お笑い芸人ってホントすごいよなぁ…」と、感心するというか、打ちひしがれる気分になります。

話は変わりますが、ビジネスにおけるさまざまな場面での行動はたいてい「準備」がものを言うものだと考えています。もちろん、咄嗟のアドリブセンスが求められる急な展開もなかにはあるでしょうが、そうした局面はそれほど多くなく、ほとんどの場合はしっかり事前にどれだけ用意周到に準備してきたか、が成果を分けるのだと思います。

一方、大喜利はどうでしょうか。「このかるたの読み札を教えてください」「写真で一言」「こんな◯◯は嫌だ」……。準備もへったくれもありません。瞬発力はもちろん、その場のノリや、大会としての文脈など、その現場のリアルタイムでの状況に則した回答を出す能力が求められます。

仕事以外の場面でも、これまでの人生を振り返っても、この大喜利レベルのアドリブセンスを試された経験は僕にはありません。強いて言うなら面接くらいでしょうか。でも、せいぜいそれくらい。それをお笑い芸人は、「おもしろいもの見せてくれるんだろう?」と腕組みして見ている全国の視聴者の前で披露するわけです。想像するだけでゾッとします。これはおそらく、常人には耐えられない重圧です。あんなに過酷なものはありません。

そうして高いプレッシャーのなか面白い回答を出し、観客が笑う。とてもシンプルで、すごくカンタンそうにやってのけていますが、こんなに贅沢な知能の使い方はないと思います。僕がお笑いが好きな理由が、ここにあります。

 

つぎの日 熱狂の中に飛び込むよりも、熱狂を興そうとしている人たちの中に飛び込もう。

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まえの日 ゆっくりと話す。

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