「律儀すぎる」くらいがちょうどいい

たまにですが、「律儀だね」とか「マメだね」などと言ってもらうことがあります。「あれ、ちょっと皮肉っぽいな」と思ってしまうことも中にはあるのですが、そのほとんどを僕は好意的に受け取っています。

その加減について、僕は「律儀すぎる」くらいがちょうどいいと感じています。そもそも「律儀である」とは「実直である」とか「義理堅い」という意味があります。それらをクリアせず「律儀でない」存在であることは完全に問題外なのですが、普通か、それ以上「律儀である」べきだと思っています。

そう思ういちばんの理由は「まだまだ未熟だから」、これに尽きます。何しろ僕らはまだ20代前半で、社会における実務経験も僅かしかありません。いまあるものといえば、多少の技術と、会社のビジョン、それから体力、これくらいじゃないでしょうか。多くの人に比べて、圧倒的に「ない」ものの方が多い。

それ以外の部分で「確実に」できることといえば、「律儀である」ことくらいしかないんですよね。というより、これができてないと簡単に足元をすくわれるのだろうなと思います。あえて誤解を恐れずにいえば、僕なりの生存戦略とでもいいましょうか。

いつまで経っても「律儀なヤツだな」と笑われる、そんな人間でいたいです。

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