世の中の「確認化」が進んでいる気がする。

どうも、下津曲です。

松浦弥太郎さんの本『センス入門』を読みました。

「入門」ということばは、これまでに何らかの学問を始めたり、特殊技能を学ぶ際の第一歩としてずっと目にしてきました。なので、この「センス」と「入門」という、一見不自然な組み合わせともいえるタイトルに惹かれ、購入してみました。

僕は水野学さんの『センスは知識からはじまる』という本もすごく好きでよく読んでいるのですが、その本とはまた違った「センス」の捉え方をしていて、すごく面白かったです。松浦弥太郎さんの本って、どの本にも結構似たようなことが書いてあるんです。主張は基本的にあまり変わらないんですけど、その本のテーマに沿ってすこしずつ新たな視点をもらえる、そんな作家さんだと感じます。

この本の中で、ここ最近のなかで最も共感した部分があります。

松浦さんが「みんなが評価して優れているされる物」は、たしかにいい物ではあるけど、きっとそれって「確認」だよね、みたいなことをおっしゃっているんです。「あぁ、たしかに『確認だ』」と、膝を打ってしまいました。布団のなかでごろんと寝転がりながら読んでいたのですが、はっきりと膝を打ちました。

amazonなどのネットショップで買いものをする普段の消費行動をはじめ、旅行や、もっというと学校選びみたいなところまで、最近は「確認化」してきているような気がします。僕は自分のここ数年の行動を振り返ってみてそう実感したのですが、同じような方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん、「確認」することによる効率化自体は否定しません。そのおかげで、特におもしろい本をたくさん読めるようになりましたし、選んじゃいけない引越し業者は選ばないで済むようになりました。この恩恵はたしかに存分に受けています。

けれど、なんかこう今ひとつ気持ちが盛り上がってこないんですね。それこそ、「確認」なので「あぁ、まあそうだよね」みたいな。通販で買いものをしたときに顕著に感じます。

積極的に直感に従って選べること。
失敗は当然するかもしれませんが、ほんとうの「豊かさ」はそこからしか得られないのではないかなと思います。

つぎの日 花の名前とか、魚の名前とか、クラシックの曲名とか。

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