テニスにおける、とある「しきたり」について。

どうも、下津曲(@shimotsu_)です。

休日なので、休日みたいな話をさせてください。

おかしな「しきたり」ってあると思うんです。
それは地域に根づくものだったり、特定の家族が代々信じているものだったり、親しい仲間内だけのものだったりさまざまです。

例えば、僕が高校生くらいまでは「家族みんなで揃って夕飯を食べる」というのが、家族なかのしきたりでした。反抗期になると「ごはんくらい、好きな時間に食べたらいいじゃないか」とか「なんでわざわざみんなで食べる必要があるんだ」なんて生意気なことを考えて反発していたのですが、今になって思うとあれはすごくいい「しきたり」だったと思います。僕が、将来家族を持ったらぜひとも導入したい「しきたり」のひとつです。

そんなふうに、大なり小なりなんらかの「しきたり」に従う経験というのはあるかと思いますが、そのなかでずっと不思議に思っていたものがあります。

それは中学時代にソフトテニス部で活動していたときのこと。初めて先輩の試合の応援に行った際の出来事です。1年生はまだラケットの握り方も分からないような状態なので、とにかく先輩の試合で応援をしたり、荷物を運んだりするわけですね。

そこで初めて聞いてビックリした応援の掛け声があって、自分の先輩と対戦をしている相手の選手がミスをしたときに、応援している選手とみんなで「ラッキー」って言うんです。しかも、選手だけでなく顧問まで一緒に。「いや、ラッキーて」って、初めて聞いたときはすごく驚きました。

たしかに、ラッキーではあります。相手の選手が打ち返して来た玉がラインの外に出ると、自分の得点になるので、たしかに「ラッキー」ではあります。けれど、それは心の中で思うことであって、挑発するような態度で「ラッキーラッキー」なんて煽る必要があるのかと。

僕はそうやって応援されるたび、「いや、いまのは、僕がそこそこいい所に返球したからこそ相手が打ち損じて、ラインオーバーになったのであって、『ラッキー』とはちょっと違うんじゃない?」みたいな葛藤をしていたんですよね。

結局、序盤こそいい感じにうまく成長したのですが、最終的にソフトテニスがそこまでうまくなれなかったのは、この「ラッキー」の文化がひとつの原因なのではと思っています。そう、これがまさに「アンラッキー」です。

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