最近引っ越しを行ったのですが、引っ越し先周辺を散策していて感じたことがあります。それは、道路の幅がとても広いこと。加えて、人口密度も低いので、1人あたりの道路の占有スペースが広く、すごく歩きやすいです。
個人的に、それぞれ尋ねる街の道路の状況はすごく気にしていて、いま暮らしている鹿児島市周辺はとてもいい環境にあるなと思います。宮城県仙台も道路がすごく好きなのですが、それと似たようなものを感じます。
数日間、そんなことを意識して歩いてみて感じたことなのですが、道路の状況・環境は思考の質に多少なりとも影響を与えているような気がしています。まだなにも確信めいたものはないのですが、歩いている最中に考えることの内容が、東京の渋谷や吉祥寺を歩いているときのそれと少し違う。そんな印象があるんですね。
道路の幅が広い場所だと、なにも考えずに前に前に歩くことができるので、いろんなことに注意を払う必要がありません。一方、特に東京都内で歩く場合は人も多く道も狭いので、自転車や行き交う歩行者とすれ違う際にも注意を払う必要があります。まず、この時点で、考え事をするうえでひとつ邪魔となる要素がないので、それはすごく気が楽です。
もちろん、大勢の人が行き交う街だからこそ分かることもあります。その土地で流行っているファッションや、歩くスピード、人々の会話。そうした情報は人が少ない街では得られることができません。
なんとなく、幅が広い道を歩くと思考が広がっていくようなイメージがあります。天井が高い部屋だと物事を俯瞰する思考力が高まり、天井が低い部屋だと細かいことをじっくり考え込むのに適しているという話があります。それと似たようなことで、道路にも同じようなことが言えるんじゃないかなと。
やはり、移動して場所を移すと大なり小なりギャップがあり、変化を感じられます。この与えられた変化の数が、アイデアや思考の引き出しのバリエーションの豊かさに繋がる気がしています。そういう意味でも、いろんな土地を歩く経験をすることはポジティブに働くんだな、と再確認できました。