ユーザの言うことはだいたい正しい

制作物のクオリティを高めるために、最終段階における「ブラッシュアップ」は非常に重要な要素を担っていると思います。特に僕の場合は、ブラッシュアップ時にやるべきチェックリストを箇条書きしていて、案件ごとにそれらを1個1個潰していくようにブラッシュアップを進めます。

その中で特に大事にしている作業として、完成間近のものをできるだけ「初めて見る人に触ってもらう」というものがあります。これは、任天堂の宮本さんが昔からずっと実践していると言う「肩越しの視線」を倣ったものになります。

上記の記事から一部引用させていただくと、

宮本さんは
なんにも知らない人をつかまえてきて、
ポンとコントローラー渡すんですよ。
で、「さあ、やってみ」って言ってね、
なんにも言わないで後ろから見てるんですよ。
わたしは、それを
「宮本さんの肩越しの視線」と呼んでたんですけど。
その重要性というのは、
いっしょに仕事するまでわからなかったんです。
いっしょに仕事してはじめて、
「あ、これだ」って思うんです。
つまり、ゲームをつくった人は、
ゲームを買ってくれる
ひとりひとりのお客さんに対して
「このようにして作りました。
こう楽しんでください」
とは、説明に行けないんですね。当然ですけど。

とあります。宮本さんの制作に対する実直な姿勢が伺える、有名なエピソードです。

ところが、つくり手が時間をかけて作ったものに対してあまり制作に関わっていない第三者が何か指摘をしてきたとき、作り手側には大きく2つの受け止め方があると思います。

1つは、

・自分が一番その制作物と長く付き合っていて詳しく知ってるのだから、初見でものを言う第三者の話は参考にしなくても良い。

という考え方。そしてもう1つが、

・そのコンテンツが届けられる人のほとんどは、制作物に対して当然「初見」なのである。従って、初見で感じてもらった意見ほど、丁寧に対応すべきである。

という考え方。表裏一体の話なので、どちらをとるかはまさにクリエイター次第なのですが、僕は後者が正しいと考えています。
とりわけ、多くの時間をその制作物に割いてきた作り手の人ほど、制作物に対してフラット目線で見られなくなっていくためです。一方で、まっさらな頭の第三者から出てきた意見というのは本当のユーザの声に近いものとなります。

同じような話で、「ディレクターの言うことはだいたい正しい」ということもいつも頭に入れています。理由は同じです。デザイナー・エンジニアは、何かブラッシュアップの作業にとりかかろうとしたとき、それにかかる工数難易度などを絶対に無視できないポジションにいるからです。もちろんディレクターの方々がそれらを一切無視して物事を考えられる、というわけではないですが、比較的フラットな視点から、難易度などを(良い意味で)細かく気にすることなく、クオリティを高めることだけにフォーカスした意見を述べることができるためです。

初見のユーザの意見を聞いていると、「うわ‥それは確かにあったほうが良いかもしれないけど、実際作るのは結構たいへんなんだよね…」といったことが日常茶飯事で起こります。そこは、そういった感情をグッと抑え、できるだけ実装難易度は無視した状態で、シンプルに「あったほうが良いか・ない方が良いか」という2軸で判断を考えるように意識しています。初見ユーザの意見を、「実装が難しいから」という理由で片付けることはしないようにしています。

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